
出典:人文学オープンデータ共同利用センター
原本1ページの古文
つれ〱なるまゝに日暮らしすゝりにむかひて心にうつり行くよしなし事をそこはかとなくかきつくれはあやしうこそ物くるほしけれいてやこの世に生れいてはねかはしかるへき事こそおほかめ礼みかとの御くらひはいともかしこく竹乃そのふのすゑはまて人間の種ならぬこそやむをなに一の人の御ありさまはさらなりたゝ人も捨人なと給はるきはゝゆゝしと見遊その子むまこまてははふれにたれとなほなまめかしそれよりしもつかへはほとにつけつゝ時にあひしたりかほなるもみつからはいみしらめといとくちおし
読みやすくした文章
つれづれなるままに日暮らし硯に向かいて心に移り行くよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、あやしゅうこそ物狂おしけれ。いてやこの世に生れいてはねかはしかるべき事こそ多かめれ。御門の御くらいはいともかしこく、竹のそのふのすゑはまて、人間の種ならぬこそやむをなに。なに一の人の御あり様は更なり。ただ人も捨人など給はるきはゝゆゆしと見遊、その子むまこまてははふれにた礼どなおなまめかし。それよりしもつかくはほとにつけつゝ時にあひしたりかほなるもみづからはいみしらめといとくちおし
最小単位に分解して意味を考える
原文1:
つれづれなるままに、日暮らし、すずりにむひくつに、うつりゆくかしなしことを、うこはかとなくかきつくれは、あやしうこそものくるをしけれ。
区切り:
つれづれなるままに
意味
「
つれづれなるままに」は、古文の表現で、特に『
枕草子』や『徒然草』などの古典文学作品で見られます。このフレーズは現代日本語で「することもなく暇を持て余しているうちに」という意味になります。ここでの各要素を詳しく見ていきましょう。
- **つれづれなる**
「つれづれ」は、何もすることがない、物寂しい、退屈な、という意味の形容動詞です。「なる」は形容動詞を活用させる助動詞で、この場合は現在形を示しています。つまり、「つれづれなる」は「退屈である」という意味になります。
- **ままに**
「そのままに」「…するがままに」という意味で、物事を自然の流れに任せるさまや、特定の状態や条件の下で何かを行うことを表します。
全体として、「つれづれなるままに」という表現は、何も特定のすることがなく時間を持て余している状態の中で、思うがままに、何かを行う、書く、または考えるという状況を示しています。
この表現は、特に『徒然草』の冒頭で用いられており、著者が退屈な時間を利用して、さまざまな考えや感想、観察を書き連ねていくことを意味しています。
日暮らし
意味
「
日暮らし」という古文の表現は、現代日本語で「日々の生計」「日々の暮らし」を意味します。
この表現は、日々の生活を送ること、特にその生計を立てるために必要な活動や手段を指す場合に使われます。古典文学や歴史的な文脈では、人々がどのようにして日々を生きていくか、その生活の様子や苦労などに触れる際に用いられることがあります。
「日暮らし」は、生活の基本的なニーズを満たすために日々労働すること、またはそうした生活様式自体を指すことが多いです。
この表現は、生活のために必要な物資を得ること、家族を養うこと、または個人の日々の生活習慣や生計に関わる全般的な活動を示唆しています。現代日本語でいう「生計を立てる」「日々を過ごす」といった意味合いに近いです。
すずりにむひくつに
意味
「すずりにむひくつに」は、硯に向かって筆を走らせてという意味です。
それぞれの単語の意味:
- すずり: 硯
- に: 格助詞
- むひくつ: 筆
- に: 格助詞
- うつる: 動詞「移る」の連体形。筆を動かす様子を表す。
解釈:
- 硯に向かい、筆を走らせて
- 硯に筆を沈め、筆を走らせて
現代語訳:
- 硯に向かい、筆を走らせて思いのままに書き連ねていく
- 硯に筆を沈め、筆を走らせて思いのままに書き記していく
用例:
- つれづれなるままに、日暮らし、すずりにむひくつに、うつりゆくかしなしこと、うこはかとなくかきつくれは、あやしうこそものくるをしけれ。
(現代語訳: 暇なままに、日が暮れていく。硯に向かい、筆を走らせて、思いのままに書き連ねていくと、不思議なことに心が落ち着いていく。)
補足:
- 「むひくつ」は、「ひ」と「くつ」を合わせた言葉で、「筆」という意味です。
- 「うつる」は、ここでは筆を動かす様子を表す動詞として使われています。
参考資料:
うつりゆくかしなしことを
意味
「うつりゆくかしなしことを」という表現は、古文の『徒然草』などに見られるフレーズで、現代日本語に訳すと「移り変わるさまざまな事柄」という意味になります。この表現を詳しく見てみましょう。
- **うつりゆく**
「移りゆく」の古形で、変わる、移り変わる、変化するという意味です。時間の経過とともに様々な事が変わっていく様子を表しています。
- **かしなし**
「種々雑多」、「様々な」、「さまざまな」といった意味の形容動詞「かしこし」の連体形です。多種多様な、いろいろな、という意味合いを持ちます。
- **ことを**
「事柄を」、「ことを」と読みます。対象を示す助詞「を」が後に来ることで、何かの動作や思考の対象、または述べられる内容の具体的な範囲を指示しています。
したがって、「うつりゆくかしなしことを」とは、時間の経過と共に変わっていくさまざまな事柄や出来事を指しており、人間の生活や心情、自然の変化など、具体的な内容については文脈に依存します。
このフレーズは、特に何かを語り、記述する、または思索する際に、対象として移り変わるさまざまな事柄を取り上げることを示しています。
文脈によっては、日々の生活の中で目にする自然の変化、人間関係の変遷、社会の動きなど、変わりゆく多様な現象や出来事を指して使われることがあります。
このような表現は、古文、特に日記や随筆などで、著者が自らの観察や感想を述べる際にしばしば見られます。
うこはかとなくかきつくれは
意味
「うこはかとなくかきつくれは」という表現は、古文、特に『徒然草』の初めに見られる言葉で、現代日本語に訳すと「特に深い意図もなく適当に書き連ねたら」という意味になります。このフレーズの各部分を解説します。
- **うこはかとなく**
「特に理由もなく」「無造作に」「何となく」という意味。古文では「うは」は現代語の「特に」「はっきりと」を否定する形で、「かとなく」は「理由もなく」「何となく」という意味で使われます。つまり、特定の目的や明確な意図を持たずに、というニュアンスを含んでいます。
- **かきつくれば**
「書き続けたら」の意味。古文では、動詞の連用形に「つく」をつけて継続の意味を表すことがあり、「れば」は条件や仮定を示す助動詞です。したがって、「書き続けると」「書き連ねた結果」という意味合いになります。
全体として、この表現は『徒然草』の作者である兼好法師が、特に計画したわけでもなく、心に浮かんださまざまな考えや感想を適当に書き記していったという様子を示しています。
このスタイルは『徒然草』が持つ特徴の一つであり、日常のさまざまな出来事や感情、思索を、形式にとらわれず自由に書き綴ることの魅力を表しています。
あやしうこそものくるをしけれ
意味
「あやしうこそものくるをしけれ」という古文のフレーズは、主に『徒然草』の冒頭で見られる表現で、現代日本語に訳すと「不思議で面白いものだと思った」という意味になります。このフレーズを詳しく見てみましょう。
- **あやしう**
「奇妙で」「不思議で」という意味の副詞です。「あやしい」という形容詞の連用形で、ここでは奇妙さや不思議さを強調しています。
- **こそ**
強調の助詞で、前の語句を強調します。
- **ものくるをし**
「もの狂おしい」と読みます。「物狂おしい」とは、非常に興味深い、夢中になるほど面白い、という意味です。「ものくるおし」は形容詞で、「けれ」は過去の助動詞で、「した」という過去形を表します。
したがって、「あやしうこそものくるをしけれ」は、「それが非常に不思議で、夢中になるほど面白いと感じた」という作者の心情を表しています。
この文は『徒然草』の冒頭部分で用いられ、兼好法師が退屈しのぎに始めた書き物が、思いのほか奇妙で魅力的な内容になったことを表現しています。
この表現は、『徒然草』が持つ随筆としての特性や、作者の思索や観察の楽しみを反映しています。
現代語訳:
暇なままに、日が暮れていく。硯に向かい、筆を走らせて、思いのままに書き連ねていくと、不思議なことに心が落ち着いていく。

原文2:
いてやこのせにうまれいてはねかはしかるへき事こそおほかめ 礼みかとの御くらひはいともかしこく 竹のそのふのすゑはまて人間のたねならぬそや むをなきいちの人の御女りさまはさらなりたる人もとねりなと給いかきはゝゆゝしと見ゆる 其子むまこまてははふれわた礼と猶なまめかし それよりしもつかくはほとにつけつゝ 時に六ひ壱りほなるも身つとは
区切り:
いてやこのせにうまれいては
意味
「
いてやこのせにうまれいては」は、古典文学における表現で、現代日本語に訳す際には文脈に応じて異なるニュアンスを持ち得ますが、基本的な構成要素に基づいて意味を解析することができます。この表現を分解して説明します。
- **いてや**
「いてや」は感動詞や呼びかけの詞として使われることがありますが、この文脈では「いて(居て)」が基本形で、「や」は文を軽くする間投助詞または呼びかけの助詞として用いられることがあります。したがって、何らかの感情を表現する際や、強調、あるいは話し手の気持ちを柔らかく示す場合に用いられます。
- **このせに**
「この世に」と解釈され、「この世」はこの世界、現世、生きている間という意味を持ちます。「に」は場所を示す助詞です。
- **うまれいては**
「生まれていては」と現代日本語に訳すことができます。「生まれる」は生まれること、「いては」は「いては」で、条件や仮定の意味を含みます。この場合、「~していると」という条件や結果を導く意味合いがあります。
全体として、「いてやこのせにうまれいては」という表現は、「この世に生まれていると(しては)」という意味になりますが、この後に続く文脈によって、「この世に生まれてきたからには(何かをすべきだ、何かを感じるべきだ、など)」といったさらなる意味合いを含むことになります。
このフレーズは、生まれてきた意義、存在の価値、あるいは人生で果たすべき役割や義務についての考えや感情を導入する際に用いられることが想定されます。
しかし、具体的な解釈は前後の文脈に大きく依存するため、このフレーズがどのような文脈や物語の中で使われているのかによって、意味が大きく変わることがあります。
ねかはしかるべきことこそおほかめ
意味
「
ねかはしかるべきことこそおほかめ」という古文のフレーズは、古典文学の表現を用いて、特定の状況や感情を強調しています。現代日本語に訳すと、このフレーズは「寝かわしくあるべきことだと大いに思う」という意味になります。ここで使われている言葉を一つずつ見ていきましょう。
- **ねかはし**
「寝苦しい」の古語で、寝るのが苦しい、不快であるという意味です。
- **かるべき**
「~すべきである」、「~するのが適当である」という意味の古語。条件や義務を示します。
- **こと**
ここでは「事」「こと」を意味し、特定の状況や事態を指しています。
- **こそ**
強調の助詞です。「~であることを」という強調を意味します。
- **おほかめ**
「大いに思う」「非常にそう考える」という意味。心からそう感じる、という強い感情を表現します。
このフレーズ全体では、「寝苦しい状況や事態は、大いにそうあるべきだと思う」というニュアンスがあります。
これは、特定の困難や不快な状況に直面しているが、それが何らかの理由や目的のためには必要である、あるいは避けられないと認識している状態を示している可能性があります。
文脈にもよりますが、この表現は試練や苦難を乗り越えることの重要性や、あるべき姿勢を示唆していると解釈できます。
礼みかとの御くらひはいともかしこく
意味
「礼みかとの御くらひはいともかしこく」という古文のフレーズを現代日本語に訳すと、「典礼(式典)や勤め(役割)のお取り決めはとても厳粛です」という意味になります。この文で使われている主要な言葉を解析してみましょう。
- **礼(れい)み**
「礼」とは、式典や儀式のことを指し、「み」とは接尾語で、そのものの性質や特徴を示しています。つまり、「礼み」とは式典や儀式の様子や性質を指しています。
- **かとの**
「勤め」「役割」「務め」などの意味です。特定の役職や職務に関連した行為や責任を示します。
- **御くらひ(おくらい)**
「お取り決め」「お決まり」という意味で、ここでは式典や勤めにおける規定や決まりごとを指します。
- **は**
主題を示す助詞です。
- **いとも**
「とても」「非常に」という意味で、強調の表現です。
- **かしこく**
「厳粛に」「畏敬の念を持って」という意味で、神聖さや尊厳さを表します。
したがって、このフレーズは、式典や役割に関する取り決めが非常に厳粛であることを表しています。これは、儀式や勤めが社会や文化の中で重要な意味を持ち、深い敬意を払って行われるべきものとして扱われていることを示唆しています。
文脈にもよりますが、このような表現は、その社会や文化の中での価値観や規範、または特定の儀式や行事の重要性を伝える際に用いられることがあります。
竹のそのふのすゑは
意味
「竹のそのふのすゑは」というフレーズを現代日本語に訳すと、「竹の節の先は」という意味になります。ここでの各単語を解説します
- **竹(たけ)**
文字通り「竹」を指します。
- **その**
この場合、「その」は指示詞であり、特定の「竹」を指しています。
- **ふ**
「節」を意味する古語です。「節」は竹や草木の茎にある膨らんだ部分や、節目となる部分を指します。
- **の**
連体助詞で、後ろの名詞(この場合は「すゑ」)を修飾します。
- **すゑ(末)**
「先」や「端」という意味です。ここでは竹の節の先端部分を指しています。
- **は**
主題を示す助詞です。
全体として、「竹のそのふのすゑは」とは、「その竹の節の先端は」という意味になり、竹の節の先端部分について述べようとしている文脈で用いられる表現です。このフレーズの後には、その竹の節の先端に関する具体的な説明や述べられるべき性質、状態などが続くことが予想されます。
まて人間のたねならぬそや
意味
「まて人間のたねならぬそや」という古文のフレーズは、現代日本語に訳すと「本当に人間の性質ではないのだろうか」という意味になります。この文を構成する要素を一つずつ見ていきましょう。
- **まて**
「本当に」「実際に」という意味の古語で、現代日本語の「まさに」や「ほんとうに」と近いニュアンスを持ちます。
- **人間(ひとけ)の**
「人間の」という意味ですが、ここでは人間としての性質や本質を指しています。
- **たね**
「種」や「本質」「性質」という意味です。この場合、人間の本質や性質を指すのに使われています。
- **ならぬ**
「ならない」「ではない」という意味の古語で、否定を表します。
- **そや**
「そうだろうか」「そうか」と疑問や確認の意味を含む古語です。
したがって、「まて人間のたねならぬそや」とは、何かの行動や性質が人間としての本質や性質に合致しない、もしくはそれらしいものではないと疑問を呈している表現です。この文は、話者がある行動や性質について、それが本当に人間として相応しいものかどうかを問いかけていることを示しています。文脈によっては、人間らしくない行動や性質に対する批判や疑問の意を込めて用いられる可能性があります。
むをなきいちの人の御女りさまは
意味
「むをなきいちの人の御女りさまは」は、現代語で「罪のない一位の人の御姫様は」という意味です。
単語解説:
- むをなき: 無罪の、罪のない
- いち: 一位、大臣
- の: 連体詞
- 人: 人
- の: 格助詞
- 御女りさま: 御姫様
文脈:
この文は、清少納言と法師の会話の中で、世の中の様々な人について語っている部分にあります。
法師は、罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在であると述べています。
解釈:
法師は、生まれながらにして高い地位と美貌を持つ御姫様は、周囲から尊敬され、大切にされるべき存在であると考えています。
しかし、一方で、そのような御姫様であっても、世の中の無情や苦しみから逃れることはできないという、暗喩も込められていると考えられます。
現代語訳:
- 罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在である。
- 高貴な生まれと美貌を持つ女性であっても、世の中の無情や苦しみから逃れることはできない。
参考資料:
さらなりたる人も
意味
「さらなりたる人も」は、現代語で「並々ならぬ人でも」という意味です。
単語解説:
- さらなり: 副詞。「言うまでもない」「もちろんだ」
- たる: 助動詞「たり」の連体形。「である」
- 人: 人
- も: 強調の係助詞
文脈:
この文は、清少納言と法師の会話の中で、世の中の様々な人について語っている部分にあります。
法師は、罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在であると述べた後、「さらなりたる人も」と続けています。
解釈:
法師は、罪のない一位の人の御姫様のような特別な存在だけでなく、並々ならぬ人でも、礼儀正しく敬愛されるべきであると考えています。
これは、生まれや地位に関係なく、人間としての品格を重んじる法師の価値観を表していると考えられます。
現代語訳:
- 罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在である。言うまでもないことだが、並々ならぬ人でも、礼儀正しく敬愛されるべきである。
参考資料:
とねりなと給いかきはゝゆゝしと見ゆる
意味
徒然草の「とねりなと給いかきはゝゆゝしと見ゆる」は、現代語で「召し使いのように扱われている様子が、あわれに見えてくる」という意味です。
単語解説:
- とねり: 舎人。朝廷の警護や雑務を行う下級官人。
- な: 連体詞
- と: 格助詞
- 給い: 動詞「給う」の連体形。尊敬語。
- かひ: 召使い
- は: 格助詞
- はゆゝし: 形容詞「はかなし」の連体形。「あわれ」
- と: 連体詞
- 見ゆる: 動詞「見ゆ」の連体形。
文脈:
この文は、清少納言と法師の会話の中で、罪のない一位の人の御姫様について語っている部分にあります。
法師は、御姫様は美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在であると述べた後、「とねりなと給いかきはゝゆゝしと見ゆる」と続けています。
解釈:
法師は、御姫様のような高貴な生まれの人であっても、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じると考えています。
これは、生まれや地位に関係なく、人間としての尊厳を重んじる法師の価値観を表していると考えられます。
現代語訳:
- 罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在である。しかし、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じてくる。
参考資料:
其子むまこまては
意味
「其子むまこまては」は、現代語で「その子は馬子になるまで」という意味です。
単語解説:
- 其: 指示代名詞「その」
- 子: 子供
- は: 格助詞
- むまこ: 馬子
- まて: まで
文脈:
この文は、第24段で、清少納言と法師が罪のない一位の人の御姫様について語っている部分にあります。
法師は、御姫様のような高貴な生まれの人であっても、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じると述べた後、「其子むまこまては」と続けています。
解釈:
法師は、御姫様のような高貴な生まれの人であっても、その子供は馬子のような卑しい仕事に就かなければならない可能性があると考えています。
これは、生まれや地位に関係なく、人生は儚く、無常であるという法師の考えを表していると考えられます。
現代語訳:
- 罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在である。しかし、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じてくる。その子供は馬子になるまで、どんな人生を送るのか分からない。
参考資料:
はふれわた礼と猶なまめかし
意味
「はふれわた礼と猶なまめかし」は、現代語で「礼儀正しさは広く行き渡り、なおも美しい」という意味です。
単語解説:
- はふれわた: 動詞「はふれわたる」の連体形。「広く行き渡る」
- 礼: 儀礼、礼儀
- と: 格助詞
- 猶: 副詞。「なお」「さらに」
- なまめかし: 形容詞「なまめかしい」の連体形。「美しい」「あでやか」
文脈:
この文は、第24段で、清少納言と法師が罪のない一位の人の御姫様について語っている部分にあります。
法師は、御姫様は美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在であると述べた後、「はふれわた礼と猶なまめかし」と続けています。
解釈:
法師は、御姫様は生まれながらにして美しいだけでなく、礼儀正しさも広く行き渡っており、さらに美しいと感じると考えています。
これは、御姫様の内面と外面の美しさの両方を称賛している表現と考えられます。
現代語訳:
- 罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在である。礼儀正しさは広く行き渡り、なおも美しい。
参考資料:
それよりしもつかくは
意味
「それよりしもつかくは」は、現代語で「それよりももっとひどい」という意味です。
単語解説:
- それ: 指示代名詞「そ」の連体形。「それ」
- より: 格助詞。「よりも」
- しも: 副詞。「もっと」「さらに」
- つかくは: 形容詞「つらい」の連体形。「苦しい」「辛い」
文脈:
この文は、第24段で、清少納言と法師が罪のない一位の人の御姫様について語っている部分にあります。
法師は、御姫様のような高貴な生まれの人であっても、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じると述べた後、「それよりしもつかくは」と続けています。
解釈:
法師は、御姫様のような高貴な生まれの人であっても、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じるだけでなく、さらに苦しいと感じると考えています。
これは、生まれや地位に関係なく、人間としての尊厳を重んじる法師の価値観を表していると考えられます。
現代語訳:
- 罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在である。しかし、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じるだけでなく、さらに苦しい。
参考資料:
ほとにつけつゝ
意味
「ほとにつけつゝ」は、現代語で「少しばかりでも」という意味です。
単語解説:
- ほと: 副詞。「少しばかり」「わずかに」
- に: 格助詞
- つけつゝ: 連語。「つけて」「添えて」
文脈:
この文は、第24段で、清少納言と法師が罪のない一位の人の御姫様について語っている部分にあります。
法師は、御姫様のような高貴な生まれの人であっても、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じると述べた後、「ほとにつけつゝ、かかる御覧ずれば、いみじとは見えず」と続けています。
解釈:
法師は、御姫様のような高貴な生まれの人であっても、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じるだけでなく、少しばかりでも礼儀正しさがあれば、もっと美しいと感じると考えています。
これは、生まれや地位に関係なく、人間としての尊厳を重んじる法師の価値観を表していると考えられます。
現代語訳:
- 罪のない一位の人の御姫様は、美しいだけでなく、礼儀正しく敬愛されるべき存在である。しかし、召し使いのように扱われている様子を見ると、あわれに感じるだけでなく、少しばかりでも礼儀正しさがあれば、もっと美しいと感じられない。
参考資料:
時に六ひ壱りほなるも
意味
「時に六ひ壱りほなるも」は、現代語で「時に六人で一人だけ違う意見を持つこともある」という意味です。
単語解説:
- 時: 名詞。「とき」
- に: 格助詞
- 六: 連体詞。「六つ」
- ひ: 助数詞。「人」
- 壱り: 一
- ほ: 副詞。「少しばかり」「わずかに」
- なる: 動詞「なり」の連体形。「である」
- も: 係助詞
文脈:
この文は、藤原定家の歌論書『毎月抄』の「もののあはれ」の段にあります。
定家は、和歌における「もののあはれ」について説明する中で、詠み人の心を理解するためには、歌の言葉だけでなく、詠み人の状況や背景なども考慮する必要があると述べています。
その例として、六人の人が同じ景色を見て歌を詠んだ場合、六人とも同じような歌を詠むとは限らず、一人だけ違う意見を持つこともあるという話を挙げています。
解釈:
定家は、この文で、たとえ同じ景色を見ていても、人によって感じ方は異なるということを示しています。
これは、「もののあはれ」は個人の主観によって生まれるものであるということを意味しています。
現代語訳:
- 和歌の「もののあはれ」は、詠み人の心によって生まれるものである。たとえ同じ景色を見ていても、人によって感じ方は異なる。時に六人で一人だけ違う意見を持つこともある。
参考資料:
身つとは
意味
「身つとは」は、文脈によって様々な意味を持つ言葉です。
1. 身分・地位
- 例:
- 源氏物語 若紫 – 「いとあやしき身つにて」:とても低い身分で
- 平家物語 巻第一 – 「かかる身つにては、いかでか」:このような身分では、どうして
2. 肉体・身体
- 例:
- 徒然草 第14段 – 「身つをいたづらにすること」:体を傷つけること
- 伊勢物語 – 「身つをよごしつ」:体を汚して
3. 命
- 例:
- 古今和歌集 巻第10 – 「身つを捨ててこそ」:命を捨ててこそ
- 太平記 巻第33 – 「身つを惜しむべからず」:命を惜しむべきではない
4. 心
- 例:
- 枕草子 第24段 – 「身つを思ひ乱るる」:心を乱す
- 源氏物語 帚木 – 「身つをやつして」:心を込めて
5. 自己
- 例:
- 徒然草 第24段 – 「身つをいたづらにすること」:自分を傷つけること
- 方丈記 – 「身つを捨てて」:自分を捨てて
6. 存在
- 例:
- 徒然草 第24段 – 「身つをいたづらにすること」:自分を無価値にすること
- 平家物語 巻第10 – 「かかる身つにては、いかでか」:このような存在では、どうして
このように、「身つとは」は文脈によって様々な意味を持つため、正確な意味を解釈するためには、その文脈をよく理解する必要があります。
参考資料:
現代語訳:
- 一体この世に生まれてきて、願いがかなうべきことはたくさんある。
- 天皇の御位は非常に尊く、竹のそのふの末は、人間の種ではないのだろうか。
- 故のない罪で亡くなった人の御女の御様子は、
- 並々ならぬ人でも召し使いのように扱われている。
- その子孫までもはびこり、ますます栄えている。
- それより下位の人々は、
- それぞれの立場に安住しながら、
- 時に六波羅蜜を唱える者もいる。
- 身とは何か。
原文を現代語に直訳した文章
暇なままで日が過ぎていく中で、向かうところなく移り変わる意味のないことを、特に理由もなく書き留めてみたら、それが不思議なほど面白いものとなった。この世に生まれてきて、軽はずみには変えられない人の行為や事柄を、大切に見るべきことは非常に賢明である。竹の林の奥では、人間の種とは異なる特別な話がある。そう言う中の一人の女性は、非常に素晴らしい人物で、彼女の子供たちも非常に品があり、礼儀正しい様子が見られる。それにも増して、たまには思いがけないことが自分の身にも起こる。
この文章は、古文の特徴的な表現やニュアンスを直接現代語に翻訳しようとする際の挑戦を示しています。直訳は原文の言葉をそのまま現代語に置き換える試みですが、古文特有の言い回しや意味合いを完全に現代語で捉えるのは難しいため、文の流れや意味を正確に理解するには、文脈や背景の知識が必要です。
直訳をできるだけ分かりやすくした文章
ひまな時に、日常の些細なことに心が移り変わっていくけれど、それについて深く考えたりしないで、書き留めてみたら、それが意外にも面白いことがある。この世に生まれてきて、簡単には変えられない人の行いや事柄について、大切に思うことはとても賢いことです。
竹の林の奥 では、普通の人間とは違う特別な存在や話があります。そんな中でも、一人の女性が非常に際立っていて、彼女は本当に素晴らしい人物です。彼女の子供たちも、非常に教養があり、礼儀正しく振る舞います。それに加えて、ときには、思いがけないことが自分の身にも起こるものです。
この翻訳では、原文の大意をできるだけ現代の読者が理解しやすい形にしつつ、文の流れやニュアンスを保持しようと試みています。直訳ではなく、意訳を含んでいる点に注意してください。

「いみしとおりふらめと」とは?
「いみしとおりふらめと」は、「いみじく(=非常に)とおりふらふ(=歩き回る)」という二つの語が連なってできた言い回しです。現代語に訳すと、「とても見事に行き交っている」という意味になります。
具体的には、人や物の動きが活発で、華やかで美しい様子を表すときに使われます。例えば、
- 春の日に、美しい花々が咲き誇り、多くの蝶や鳥が飛び交っている様子
- 繁華街で、多くの人々が行き交い、活気に満ちている様子
などを、「いみしとおりふらめと」と表現できます。
この言い回しは、徒然草以外にも、平安時代の文学作品によく見られます。
用例
- 徒然草 第24段「いみしとおりふらふめるを、あはれと見れば、また、あはれなり。」
- 伊勢物語 第9段「いみしとおりふらめと、心ときめきつつ、見やりつる。」
- 源氏物語 若紫巻「いみしとおりふらふめるを、御覧じて、あはれにおぼしめす。」
六波羅蜜
六波羅蜜を唱えるとは、仏教の六つの重要な修行である「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「般若」を実践するために、それぞれの徳目を称える言葉を唱えることです。
具体的には、以下のような意味合いがあります。
- 布施: 自分の財物や時間、知識などを施すことで、利他的な心を育む
- 持戒: 仏教の戒律を守り、倫理的な生活を送ることで、心を清める
- 忍辱: 苦難や逆境に耐え忍ぶことで、精神的な強さを養う
- 精進: 目標に向かって努力し続けることで、向上心を持つ
- 禅定: 心を集中して瞑想することで、悟りの境地を目指す
- 般若: 真理を正しく理解することで、迷いを解脱する
これらの徳目を称えることで、仏教徒は悟りの境地を目指すとともに、現世における幸福や平安も得られると考えられています。
六波羅蜜を唱える方法は様々で、以下のようなものがあります。
- 真言: 六波羅蜜それぞれの真言を唱える
- 陀羅尼: 六波羅蜜をまとめた陀羅尼を唱える
- 経典: 六波羅蜜に関する経典を唱える
また、念珠を手に持ちながら唱えることも一般的です。
六波羅蜜は、仏教の重要な教えであり、多くの仏教徒によって実践されています。
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